【日本ダービー特別寄稿】「ひぐらしの鳴く頃には 絆」
【日本ダービー特別寄稿】「ひぐらしの鳴く頃には 絆」
祟り(たたり)なんか信じない。だけど、府中の大欅の向こう側には魔物が住むと人は言う。静かなる逃亡者サイレンススズカが故障発生したのもその場所だった。
あの頃の私は、ただターフを走る馬が好きだった。馬券の勝ち負けよりも、最終コーナーを回ってくる馬群に目を凝らしたり、ゴール板前に張り付いて目の前を駆け抜ける馬たちのドドドドドッという蹄音に興奮していた。もちろん馬券が当たれば嬉しいものだが、それはおまけみたいなものだったのだ。
そしていつも、私の横には夏奈子がいた。
初めて夏奈子と東京競馬場に行った時、私たちはその広さと人の多さに目を丸くした。
「おーいカナ、こっちこっち、カナ、カナ!」
「もう、そんな風に大声で呼ぶのやめてよ」
「大声じゃなきゃ聞こえないじゃん」
「カナカナって、蝉じゃないんだから!」
「蝉?ひぐらしのことか」
ひぐらしのことを、夏奈子の田舎ではカナカナと呼ぶらしい。子どもの頃それでからかわれたのだと彼女は頬をふくらませた。ちょっと怒った顔も可愛い。
人混みを縫うように歩きながら、私たちははぐれないようにとその日初めて手を繋いだ。
私は思う。あの頃、夏奈子がそばにいたから楽しかったのだ。
それは競馬場だけではない。同じく田舎出身の私がいつまでもなじめない都会の街中でも、安普請の古いアパートの狭い部屋でも、夏奈子の笑顔があれば幸せでいられた。
かけがえのない相手を思いやることを愛と呼ぶのなら、確かにそこには愛があった。
世の中は競馬ブームだった。二人で有馬記念のオグリキャップに涙し、ダービーのトウカイテイオーに歓喜しながら、私は夏奈子との愛を育んだ。
「お前らまた一緒に競馬見に行ったのか?そんなに気が合っていつも一緒にいるなら結婚しちまえ!」
同じ職場で働いていた私たちは、いつも宴席でそう上司にからかわれていた。
「そうですね、そろそろプロポーズしようかと思ってるんです」
ある時私がそう返すと、横に座っていた夏奈子はただ笑っているだけだったけれど。
どちらが言い出したのか覚えていない。彼女の田舎が福島県だったから、その年の夏は一緒に七夕賞を見に行こうという話になった。当時は温泉もブームだったから即決だった。
七夕賞には前泊で、福島競馬場からほど近い飯坂温泉に宿を取った。縁結びで有名だという羽黒神社に立ち寄り、私は夏奈子とのことを願掛けした。
奮発して予約した数寄屋造りの旅館。貸切の露天風呂に二人で入った。華奢なくせに豊満な夏奈子の乳房。濡れた長い黒髪はなまめかしい。私の動悸が聞こえはしまいかと冷や冷やした。
部屋での夕食も申し分なく、浴衣姿で無防備な夏奈子を目の前に、ビールと日本酒で心地よく酔った。
すべてがうまくいっている、そう感じていた。夏の福島の暑さに、頭がのぼせていたせいかもしれない。
少し食休みした後、二人でもう一度露天風呂に入った。その間に、部屋には布団が二組並んで敷かれていた。私たちは横になり、とりとめなく色々な話をした。
やがておしゃべりに疲れた二人の間に、しばしの静寂が流れた。私は布団から上半身だけ起こし、夏奈子の顔を覗き込みながら思い切って言った。
「ねえ、キスしてもいい?」
夏菜子は目を閉じてはくれなかった。言葉を失った様子で私をじっと見つめている。
「ずっと前から好きだったの。好きで好きでたまらないの」
沈黙に耐え切れなくなった私は、堪らなくなって夏奈子に抱きついた。
「やめてよ百合子!」
思いがけない強い力で、私は夏奈子から拒絶された。いや、そういう予測もしなかったわけではない。
「ごめんなさい、カナ……」
わたしはそれ以上何も言えなかった。お酒の力を借りたのは、告白するためではなく、もう終わりにしなければという意識がどこかで働いていたのかもしれない。夏奈子は何も言ってくれなかった。さっきより深い、そして重苦しい静寂が私を包んだ。早く朝になってくれと願った。悪夢なら覚めて欲しい。エアコンは効いていたけれど、寝苦しくて一睡もできなかった。
私は一人、早朝のうちに宿を後にした。帰りの新幹線は指定席を変更して別々に帰った。もちろん二人で七夕賞を見ることは無かった。
翌月曜日、私は辞表を出し、静かに会社を去った。夏奈子は病気を理由に休んでいた。
職場でオヤジギャルシスターズと呼ばれていた仲良しOL二人組は、その日解散したのだ。
性同一性障害なんて言葉は、世間では誰も知らなかった昔の話だ。
あれからの私は、ただ仕事に打ち込んできた人生だった。夏奈子とのことを忘れるためには、仕事に忙殺されるしかなかった。おかげでと言うべきか、今では転職先のアパレルメーカーで女だてらに役員をやっている。有名なデザイナーとの打ち合わせや、商品の買い付けなどで海外に飛ぶことも多い。
親にすらカミングアウトできていない私は、人並み以下の容姿にもかかわらず多くの見合いの話を持ちかけられた。その内何人かは取引先の関係とかで断り切れずに会った人もいるが、もちろん上手くお付き合いに発展することはなく、四十路になっても独身だった。
男の人を好きになることは無いけれど、かといって女の人を好きになってはいけない。あの時みたいに罰を受けるから。
「私は他の人とは違うんだ……」
私はずっとマイノリティの呪縛から逃れられないでいた。
そしてあの日がやってきた。
2011年3月11日。東日本大震災。
自らも東京で体験した激震。それ以上に衝撃的なテレビに映し出される被災地の様子。
私は福島にいるはずの夏奈子の身を案じた。
人づてに、私が会社を辞めて程なく、彼女も退職して田舎に帰ったと知った。その後の消息は知らない。ただ、彼女は海沿いの街で育ったと聞いていた。
ニュースで繰り返し流れる津波の映像に、私は胸が締め付けられた。
翌12日朝、会社のワゴン車に自社の防寒衣類を詰め込んで、私は部下を連れ福島へ出発した。表向きは企業としての被災地救済。でも、正直に言えば私情含みで決めた。忘れてはいないけれど、心の片隅に閉じ込めていたはずの夏奈子への想いが、胸が張り裂けるほどに大きくなっていた。
高速は通行止めになっていたので、渋滞する国道を北上した。山側を迂回して福島入りした時には、すっかり日が暮れていた。そこで見た光景は、映画のワンシーンのようだった。むろん美しかったわけではない。その真逆の瓦礫の山を前に、私は茫然自失だった。カーナビに導かれた夏奈子の実家の住所近くには、もはや家屋と呼べるものは建っていなかった。これが現実の出来事なのだと思えず、戦争映画かSF映画のワンシーンを見ているようだった。
その後の動きは慌ただしかった。避難所となっている高台の高校にようやく辿り着くと、私たちは最初歓迎されなかった。大パニックの避難所に責任者など見つかるはずはなく、消防団員と思われる男性に声をかけると、おばさん黙ってろという風な扱いを受けた。しかし、そこそこ有名なアパレルメーカーの社名と、さらに自社の防寒衣料の山を引き渡したいと告げると、手のひらを返したような応対となり、最終的に校長先生にまで挨拶する羽目になった。
街の沿岸部は壊滅的な被害だと聞いた。行方不明者の数はもちろん、いま学校にどれだけの人が集まっているのかすらカウントできていなかった。3月の福島の夜は寒かった。ワゴン車2台分の衣料だけでは足りなかった。
「出直そう」
私は自分に言い聞かせるように部下たちに言った。よそ者にできることは限られている。
夏奈子の無事さえ確認できればいいと思っていた気持ちが、現場の惨状を見て大きく変わっていた。私がやらなかったら誰がやるんだ、そんな使命感が熱病のように私の体を侵し始めていた。
体育館の連絡掲示板に、「横山(旧姓)夏奈子さん連絡待つ 東京・戸崎百合子 電話090-」と書き残し、私は後ろ髪を引かれる思いで福島を後にした。
東京に戻った私は、社長にかけあって被災地支援プロジェクトチームを結成した。私がいない間もマスコミが震災関連の報道を流し続けていたから、社内に誰も反対する者はいなかった。
唯一つ許せないことがあった。都知事が震災は天罰だと発言したことだ。被災地の惨状を見て同じことが言えるだろうか?確かに都会の薄汚れた大人たちだったら天罰が下ってもおかしくはない。でも、被災地ではあどけない子どもたちも数多く犠牲になっているのだ。彼らがどんな罪を犯したというのだ。あの街に生まれたのが不幸な運命だというのか。
そんな時、私の携帯電話が鳴った。
「はい戸崎です」
「あの、福永百合と申しますが……」
「どちらの?」
「福永夏奈子、旧姓・横山夏奈子の娘です」
混乱。そして動揺。無言のまま、我に返るのに時間がかかった。
「夏奈子は?夏奈子は無事なの?」
「だめでした」
その一言で理解した。無事でいてくれと願ってはいたけれど、あの海岸沿いの瓦礫を見た時から覚悟はしていた。
しかし娘がいたとは。しかも生きていた。実は私が訪問した避難所となっていた高校に通っていた。体育館の掲示板を見て連絡をくれたのだという。無駄ではなかったのだ。
数日後、自社の被災地支援プロジェクトチームとして再び福島を訪問した際、私は自分の目を疑った。目の前に夏奈子が生きている。もちろんそんなはずはない。私が会ったのは夏奈子の娘、福永百合ちゃんだった。
「夏奈子!」
思わずそう言ってしまったほど、彼女は夏奈子に瓜二つだった。
「はじめまして、福永百合です」
「戸崎百合子です。よく無事だったわね」
この子を守りたいと思った。もちろん恋愛感情ではない。肉体的には女性の私の身体に備わった母性だろうか?
「私もね、あなたに会いたかったんだ」
澄んだ瞳で、百合ちゃんは言った。
「え?」
「お母さんがね、言ってたの。私の名前、百合って、昔お母さんが好きだった人の名前から取ったんだって」
私には衝撃的な台詞だった。
「それって百合子さんよね?もろかぶりだもん、ははは」
思わず目頭が熱くなり、私は何も答えられなかった。
「えっ、百合子さん泣いてるの?」
あの時のことを夏奈子は許してくれたのだろうか?いや、そんなはずはない。でも、娘に私の名前を取ってくれたのだとしたら……
「いや、夏奈子のことを思い出しちゃって」
「私、そんなにお母さんの若い頃に似てる?」
「うん、そっくり」
私は彼女を抱きしめた。
結論として私が百合ちゃんの面倒を見ることに落ち着いた。何より百合ちゃん自身が東京へ行きたいと希望したことが大きかった。田舎の少女なら誰しもが持つ都会への憧れの他に、東京で何かしたいという目標があったわけではない。でも、まだ高校生の彼女にとって、両親を失くし瓦礫の中から人生をやり直すのは余りにも過酷な試練だ。さらに福島では、原発事故による放射線問題が深い影を落としていて、県外へ避難している子どもたちは少なくないのだ。
今、百合ちゃんは私のマンションから都内の専門学校に通ってデザインの勉強をしている。将来は私の会社に入りたいと言っている。昔私と夏奈子が同じ職場で働いていたように、今度は夏奈子の娘と働く日は近い。
― ねえ夏奈子、どこかで見てる?いいのかな?このまま続けても ―
私と夏奈子の縁は切れたわけではなかった。女同士で縁結びの願掛けなんかしたから神様の罰が当たったんだ、ずっとそう思っていたから、私はなんだか救われた気がした。
そうだ。また福島へ行こう。昔夏奈子と行った羽黒神社へ。こうして百合ちゃんと巡り合わせてくれた縁結びの神様に御礼参りだ。
それにしても不思議な関係だ。家族でもなく、親戚でもなく、友達でもなく、ましてや恋人同士のわけもなく、師弟関係でもなく、この2人の関係はなんだろう。でも、私にとっては昔愛していた大切な人の子ども。
そんなことを思っていたら、付けっぱなしのテレビから日本ダービーのCMが流れてきた。そうか、もうそんな時期だったな……
私は気になってパソコンでJRAのホームページにアクセスした。しかし世の中便利になったものだ。新聞を買わなくてもパソコンで出走表が見られるなんて。
今でもたまに仕事の気分転換に競馬場へ足を運ぶこともある。めったに馬券は買わないが、今回のダービーは久しぶりに勝負してみようかと思った。そう思わせる馬がいた。
「百合子さん何見てるの?」
夢中になっていて気付かなかった。いつの間にか帰ってきた百合ちゃんが画面を覗きこんでいる。
「えー百合子さん競馬やるの?意外だなあ」
「たまによ」
「お母さんも好きだったよ、競馬」
「そうなの?」
こっちこそ意外だった。あの一件以来、夏奈子は競馬なんてやめていると思っていた。
「ほら、ものすごく強くて、人気あって、三冠馬ってやつ?武豊が乗ってた馬」
「ディープインパクト?」
「そう!それそれ!お母さん大好きで、いつも応援してたよ」
もう迷いは無くなった。
「百合ちゃん、日曜日東京競馬場行ってみる?」
「えっ、マジ?」
「日本ダービーよ。買いたい馬がいるの」
私はパソコン画面の、1枠1番を指差した。
「いい名前ね」
百合ちゃんが笑顔で言った。
まさか夏奈子の娘と競馬場デートをする日がくるなんて。
そうだ、福島へも行くなら福島競馬場にも行こう。あの日見られなかった七夕賞を見に。
ひぐらしの声を聞きたいと思った。その鳴き声は、夏奈子を連想させるから。
ねえ夏奈子、今度の夏墓参りに行ったら、カナカナカナカナと美しく鳴いてくれますか?
了